その後、蔵六は上野の山にこもった彰義隊を壊滅し、
北越から奥羽に広がった戦乱も、
江戸から指令を発して、ことごとく片づけた。
戊辰戦争がわずか一年で片づいたのは、
蔵六という総司令官がいたからともいえる。
そのやり方がふるっている。
「私がすべてやります」
「これ以外に方法はありません」と、
薩長の幹部の列座する前で悪びれもせずに断言し、
数学の問題を解くようなやり方で、次々と問題を処理していった。
蔵六の活躍がいかに高く評価されたかは、
戊辰戦争後の論功行賞の内容でもわかる。
東山道先鋒軍の総指揮者であった土佐の板垣退助が千石、
長州の山県有朋が六百石、
薩摩藩の代表格である小松帯刀が千石、
土佐藩代表の後藤象二郎が千石である。
長州、薩摩の二大巨頭である木戸孝允と大久保利通がそれぞれ千八百石。
最高額の西郷隆盛が二千石というなかで、
蔵六が拝領したのは千五百石。
薩長の二大巨頭に次ぐ高額であった。
革命に遅れて参加し、こういう扱いを受けたから恨み、
嫉妬などを受けやすい位置にいたことは確かである。
蔵六の暗殺は、海江田が陰で浪士を扇動してやらせたと言われている。
蔵六の一生は忙しい。
明治二年五月に函館・五稜郭の榎本軍が降伏して戊辰戦争が終わると、
その四カ月後の九月に暗殺者に斬られ、十一月に死んでしまう。
明治二年九月、蔵六は京都に行ったところを狙われた。
宿で湯豆腐鍋を囲み何人かで一杯飲んでいたとき、刺客が飛び込んできた。
蔵六はこのとき、右の腿をやられた。
当初は自力で歩けるほど元気だったが、敗血症を併発した。
九月四日に負傷し、十月二日大阪仮病院に入院、同二十七日右大腿部を切断。
十一月五日死去した。
蔵六が偉かったのは、
その周辺からくる雰囲気に飲み込まれず西郷隆盛と対峙し、
自分が正しいと思ったことを断固として行ったことだ。
西郷は革命の立役者であり、人格者としてカリスマ的人気者である。
普通の人間には、これを軽んじることなどできない。
しかし蔵六には、西郷の神通力は通じなかった。
彼はその鋭い直感力で、西郷とその取り巻きの本質を見抜いたのである。
彼らの本質は中世人であり、新しい時代をつくっていく過程で、
今後やっかいな存在になると、十年も前の時点で、
後の西南戦争を予言して、その対策まで実行しているのである。
「いずれ九州のほうから、足利尊氏のごときものがおこってくるだろう」
と蔵六は予言した。
足利尊氏とは西郷隆盛を指しているのである。
そして、軍事上の重要拠点を東京におかず、大阪におくようにした。
九州で反乱が起きた場合、大阪湾から迅速に兵器や物資を直送するためである。
さらに、西郷が反乱を起こしたとき、
それに匹敵する人物が新政府にいないことを憂え、
まだ若かった公家の西園寺公望をかついで、息子のようにかわいがった。
そういう対策をすべてやった後、刺客に襲われ、あっという間に世を去った。
享年四十五歳。
西郷もその九年後に西南戦争に敗れて死ぬから、
この勝負、時間は相前後するが、相打ちであったといえる。
さて、これでこの物語は終わるわけだが、
坂本竜馬や、高杉晋作といった維新の志士たちに比べると、
どうもしっくりこない、わかりにくいと思う人が多いだろう。
司馬氏もそのように思っていたようで、あとがきに次のように書いている。
「村田蔵六などという、どこをどうつかんでいいのか、
たとえばときに人間のなま臭さも掻き消え、
観念だけの存在になってぎょろぎょろと
目だけが光っている人物をどうかけばよいのか、
執筆中、ときどき途方に暮れたこともあった。(中略)
しかしひらきなおって考えれば、
ある仕事にとりつかれた人間というのは、
ナマ身の哀歓など結果からみれば無きにひとしく、
つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ失せ、
その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い。
その仕事というのも芸術家の場合ならまだカタチとして残る可能性が多少あるが、
蔵六のように時間的に持続している組織のなかに存在した人間というのは、
その仕事を巨細にふりかえってもどこに
蔵六が存在したかということの見分けがつきにくい。
つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと執筆の途中で思ったりした」
蔵六はその才能は別とすれば、
どこにでもいるような平凡な人間であった。
だからそこ、親近感もわく。
司馬氏が言いたかったのは、
男の仕事とは、ということだ。
女性の場合は子供を産み育てるという
大地に根を張った生きる目的のようなものがある。
男の場合は、それが希薄だ。
だからこそ仕事をする。
その仕事とは、多くの場合、組織の中でなされる。
組織の歯車の一つ、積み石の一つであるから、
誰がそれをやったかなどということは、ほとんど記憶されることもない。
しかし、この世に彼がいたことによって歯車は確かに回り、
石は一つ積み上げられた。
その集積でいまがあるし、未来も切り開かれていくのである。